レポート・論文は形式が9割
「○○は××が9割」というフレーズを目にすると「どのように数量化したのですか」「その妥当性はどのように担保されるのですか」と聞きたくなります(職業病)。
それはともかくとして、「最近の若者は」みたいでアレなんですが、大学教員になってからというもの、形式のなってない原稿を目にする機会が想像以上に多くて、学期末が来るたびびっくりしています。まあ、私自身が学生の時にちゃんとできてたかというと自信は無いのですが…
手の届く範囲だけでも、形式は重要ですということを強調する文章をしたためて読んでもらわないといかんなと思ってこの記事を書き始めました。
タイトルの「9割」は冗談ですが、形式はめちゃくちゃ大事です。以下、その理由を述べていきます。
なお、この記事で特に想定してる「形式」とは、「文章は段落分けしましょう」「段落の頭は1字下げましょう」「~である調で書きましょう、ですますやめれ」「口語は最大限避けましょう」「特別な理由がなければ現代仮名遣いで書きましょう」「その他指定された書き方を守りましょう」ぐらいの話です。序論・本論・結論とかそういうのはもうちょっと進んだ話というつもり。
形式は第1印象
「形式がなっているか」は成果物の第1印象=ぱっと見の印象を決めます。いわば、人間の服装みたいなものです。
お葬式にジャージとビーチサンダルでやってきたらひんしゅくを買うのはわかってもらえると思います。逆に、文句の付けようもなくビシッと決まった礼装も、「今から砂場で泥んこ遊びをします」みたいな状況だったら「何しに来たんじゃこいつ」となります。
このレベルで場違いな原稿をレポートや卒論で見たことはさすがにありませんが、文章にも同じように、TPOに応じた適切な形式というものがあります。
たとえばフォーマルな手紙では「拝啓、(時候の挨拶)…(内容)…(お体にお気をつけくださいなど締めの挨拶) 敬具」みたいに書く、というのはきっと小学校で習ったと思います。でも友達とのLINEでいちいちそんな書き方する人はたぶんいません。いたらかなりの変人と思われてるはずです。
読書感想文や入試の小論文なども、最初のマスを空けずに書き始める人はあまりいないと思います。「段落分けせよ」「段落の頭は1字下げろ」と小中高等学校や塾で厳しく指導されてるはずだからです。
このようないわば「常識」みたいなところががぱっと見で逸脱していると、内容に入る前に「なんじゃこれは」となってしまうのが人の性(さが)です。
形式を整えるのは内容を充実させるより圧倒的に簡単
あなたは場違いな服装で現れた人にどんな印象を抱きますか?よっぽど&確固たるコンセプトが見いだせれば一周回ってアートを感じることもあるかもしれませんが、だいたいは「こいつは常識が通じなさそうだ、近寄らんとこう」だと思います。形式が整ってない文章を見たときの印象も同じです。「こいつには常識的な内容は期待できなさそうだ」と感じます。
なぜそう感じるか。それは、形式を整えるのは内容を充実させるより圧倒的に簡単なはずだからです。
習ったとおりに書く、もしくは習ってなくても、今まで見てきた教科書や論文などと同じような見た目になるように書けばいいだけの話です。それは特別難しくはないはずです。形式が指定されているならなおさらです。めんどくさいのは同意しますが、内容と違って、頭を使う必要のないところです。
にもかかわらずそれができてないということは、「筆者はこの文章をいい加減な気持ちで書いている」という言外のシグナルになり、論理的推論を一歩進めれば「常識的な内容を期待できるとは思えない」という判断に至ります。読みたい気持ちがたちまち消え失せます。
服装のたとえで言うなら、学位論文はフォーマル(とても格式の高い式典)~セミフォーマル(入学式・卒業式・結婚披露宴ぐらい)、期末レポートはスマートエレガンス~インフォーマル(まあまあいいお店でのパーティー)、せめてやや堅めの業界のビジネス(スーツで勤務)ぐらいだと考えておくとよいと思います。
そういう場にユニク○ずくめ(ブログぐらい?)やジャージ(気安い友達とのLINEぐらい?)がやってきたら、たとえその人にとってはいつもよりパリッとしてるのだとしても、「なんじゃこいつ」ってなりませんか?*1*2*3
レポート・論文の読者はあなたのことを基本知らない
「私はそんないい加減な気持ちでは書いてない」「最低限の常識はわきまえてるつもりだ」「ちょっとミスっただけだ」と言いたくなる気持ちはわかります。わかりますが、そもそも論文やレポートを読む人は普通あなたの友人や家族ではありません。だから普段のあなた、本当のあなたがどんな人なのかなんて知りません。
たまたま普段の授業やゼミを笑顔で聞いて・話してくれるのを知っていたとしても、まともな教員は権力勾配が存在してる時点で、本音で付き合ってもらえてるなどとは思ってません。なので本当のあなたがどんな人なのか(どのぐらい課題や授業内容を理解しているのか)を判断するための手がかりは、渡された文章しかないのです。そしてそれ以外の要素で判断すべきでもありません。
まずそれが大前提で、そのうえで同じタイミングで提出された他の人の文章や、過去の似たような状況での記憶の中には、形式がちゃんとしてるものも必ずあります。すると相対評価で「こいつはちゃんとしてそうやな」「こいつはいい加減そうやな」となってしまうのです。
このようにして、上で書いたように「形式は第1印象」となるわけです。「ちゃんと書いてる」「常識が通じる」とわかってもらうためには、最低限の期待を持ってもらうためには、いつでもTPOをわきまえた文章を書くしか方法はありません。
今すぐ形式を整えよう&形式を整えてから書こう
そんなわけで、書きかけの原稿がある人は今すぐ形式を整えてください。そしてこれから書く部分は「書き終わってからまとめて直そう」じゃなくて、最初からその形式に従って書いてください。それを当たり前にしてください。就活の面接にパジャマで行こうとは考えないのと同じぐらいの感じにしてください。
具体的な形式の例は「レポート 書き方」とでも検索すればなんぼでもヒットします。なんならあなたの大学の先生が作った資料が公開されてることも多いです。細かいところはそれぞれバリエーションがあるでしょうけど、だいたいどこでも同じことが書いてあります。まずは自分の大学の自分の学部発行の資料がないか探してみて、それを遵守するところから始めましょう。
手元に印刷物としてあった方がうれしい人は大学の図書館に行ってみましょう。けっこうそういうお役立ちパンフレットが「ご自由にお取りください」になってます。
中身の話はそれからです!
Windows10でオフラインでMIDIファイルをWAVファイルに変換する方法
もはや趣味でMIDIファイルをやり取りする機会が少なくなってるけど、やはり実験や音さえ出ればOKな程度の作編曲ではMIDIは便利です。
昔はiTunesとかでできたらしいけど何年か前からできなくなったようで、知識が無いと怪しげなオンライン変換サイトにアップロードしてダウンロードするしかありません。
それかDTMソフトに読み込んで書き出すか。
でも何曲も処理するにはそれではあまりにも面倒なので、自動化に繋がる方法はないかと探しました。
FluidSynthというアプリを使う方法が見つかったので、備忘録を兼ねて共有します。
FluidSynth
FluidSynth | Software synthesizer based on the SoundFont 2 specifications
サウンドフォントとかいう形式のソフトウェア音源を使うシンセサイザーという触れ込みです。
ダウンロードするにはGetting FluidSynthのタブに入って、WindowsとAndroidの方は、ページの下部にあるDownload Binary Releasesからzipでダウンロードするのが手っ取り早いです。
MacとかLinuxとかの人はInstall Fluidsynthに進んで指示に従います。
なんかwebからダウンロードしてインストールしてくれる支援ソフトみたいなのが何種類かあるらしくて(GenttooとかDebianとかあるのがそれ)、そいつをインストールした上でそいつを立ち上げて、書いてあるコマンドを入力したらインストールできるっぽいです。私はWindowsなのでChocolateyでやってみたらできました。
FluidSynthのインストール
Install Fluidsynthのページの方法の人はインストールできてるはず。この方法理解できた人ならどこにインストールされたかもたぶん大丈夫と思います。
zipをダウンロードした人は、解凍(展開)して都合の良い場所に移しましょう。私はChocolateyでやった結果、C:\tools\fluidsynthというフォルダができて、ここにbin, include, libのフォルダがある状態になりました。
パスを通す
ここはChocolateyでやった人は自動で通ってるので飛ばして大丈夫です。
zipをダウンロードした人は、タスクバーの虫メガネアイコンを押したら出てくる検索ボックスに「環境変数」と入力してEnterを押します。
すると「システムのプロパティ」ウィンドウが立ち上がるので、「詳細設定」のタブの下の方にある「環境変数」をクリックします。
新しく開いたウインドウに「(ユーザー名)のユーザー環境変数」というリストが出てきますので、そこに「新規」でユーザー変数を追加します。
変数名は何でも良いですがとりあえずFluidsynthとかにしておきましょう。変数値にはFluidsynthのフォルダのパス(C:\tools\fluidsynth)を入力して「OK」。あとは「OK」でウィンドウを閉じていきましょう。
※追記 帰宅して家のPCでzipダウンロードからインストールして実行したところ、この工程がうまくいかない感じでした(コマンドプロンプトからfluidsynthを実行しても「'fluidsynth' は、内部コマンドまたは外部コマンド、操作可能なプログラムまたはバッチ ファイルとして認識されていません。」と表示される)。原因が分からないのでお手上げです。
急ぐ方はChocolateyでやるか、「.midをwavに変換」で書いてる工程での「出力先」をfluidsynth.exeがあるフォルダ(C:\tools\fluidsynth\bin)にしましょう。
サウンドフォントのインストール
次は音源をインストールします。フリーのがいくつかあるようです。
サウンドフォントと SFZ ファイル | MuseScore
ここではとりあえずGeneralUser GSをインストールすることにしてみます。下記のページからダウンロードしました。
S. Christian Collins - Pianist, Composer, Virtual Instrument Designer
zipでダウンロードできたら解凍(展開)すると、中にGeneralUser GS v*.sf2というファイルがあります(*はバージョン番号)。これがサウンドフォントの本体です。
続いて、サウンドフォントの置き場所を作ります。FluidSynthはデフォルトではC:\ProgramData\soundfonts に default.sf2という名前でデフォルトのサウンドフォントがあると思ってるようなので、ここにさっきのsf2ファイルをコピーして、名前をdefault.sf2にリネームします。
なおProgramDataは隠しフォルダになっているので、エクスプローラの「表示」タブの「表示/非表示」部の「隠しフォルダ」にチェックを入れましょう。入れたら半透明の隠しフォルダが表示されます。
ProgramDataが表示されたら中に入って、soundfontsというフォルダを新しく作り、あとは先ほど説明したとおり。これで準備が整いました。
.midをwavに変換
コマンドプロンプトを開きます。タスクバーの虫メガネアイコンを押したら出てくる検索ボックスにcmdと入力してEnterを押せば立ち上がります。
ここでまず、出力するwavファイルを置きたい場所(フォルダ、ディレクトリとも言う)に移動します。どこでもよければ移動しなくても構いません。その場合はたぶんC:\Users\(ユーザー名)のフォルダに出力されることでしょう。
移動の仕方はこちらを参考にしましょう。
コマンドプロンプト | カレントディレクトリの変更(CD, CHDIR)
コマンドプロンプトが出力先の場所に移動できたら、出力先フォルダに変換したい.midファイルを置きます。これはエクスプローラからの操作で大丈夫です(たぶん他の場所にあってもやる方法はあるけどここでは面倒なのでそうします)。
そしてコマンドプロンプトで次のコマンドを入力します。
fluidsynth_-F_(出力ファイル名).wav_(入力ファイル名).mid
(アンダーバーは半角スペースに置換してください)
全部うまく行ってたらwavファイルができると思います。
その他
- 音色が気に入らない場合は他のサウンドフォントを試しましょう。
- どうもmidやwavのファイル名に半角スペースがあると具合悪いみたいです。半角スペースは避けましょう。
- matlabからfluidsynthを呼び出せたら楽なんだけどなあ(無理ならコマンドプロンプトを呼び出して、という形でできないか試してみる予定)
- Pythonではfluidsynthを呼び出す方法があるようです
絵画商法にアート(技)を見た日
好きな絵師さんの画展が近所で開催されると聞いたので行ってきました。
画展は良いですね。原寸大だし、解像度も無限に近いし、特殊な素材使ってたらその画集やPC画面では抜け落ちてしまう質感があるし、原画なら絵の具の凹凸もあるし、それらを通して筆の運びや身体が見えるような気がするし、なんというか絵画って二次元じゃないんだ的な感動をいつ行っても覚えます。
ただ今回は入ってみると絵師さんのキャリアの割に展示数がやや少なく、手前にあったギャラリーショップも物足りない感じで(入場料無料なのに?っとここで違和感を覚えた)、値札が一部でなく全作品についていて(警戒心が高まった)、椅子と机とイーゼルがたくさん用意してあって、じーっとみてると半分過ぎた辺りでスーツのお姉さんが話しかけてきた!なるほどこれが絵画商法、こういう絵師さんのもあるのか…。しかも原画じゃなくて版画らしい。いやまあ版画でこんな表現できるんだっていうのは驚きではあるけれど。
それはそれとして素敵な画は見ていきたいしお姉さんもすぐ「ごゆっくり~」って解放してくれたので順に見ていって、ときどき話しかけてくるのに答えたりしながら完走し、2周目行くかと思ったところで感想を尋ねられたりして会話していると、なんだか本当に買ってみたい気持ちがちょっとずつ芽生えてくるのに気づき、怖ろしくなった。
怖ろしくなる一方、自然に商談に持っていくためのテクニックが完成されすぎているのがかえって面白くもなってきてしまい、ついのらりくらりと出方をうかがいまくって長話してしまった。最終的に怖い人が出てくることもなく向こうが諦めてくれて事なきを得たのでよかった。
以下、その「完成されすぎている」と感じたセールストークの技術に関するメモ。
- 話しかけるタイミングと内容の発展のさせ方
1回目は半分ぐらいのタイミングで「この作家さんはご存じでしたか?」とか「本物っていいですよね~」ぐらいの簡単な質問ですぐ「ごゆっくり~」と解放。2回目は3/4ぐらい回った辺りで「この作品いいですよね」から始まって「画展とかよく来られるんですか?」などちょっと踏み込んだ話。3回目は1周し終わって2周目どうしようかなと考えてるタイミングで寄ってきて「どの作品が良かったとかありましたか?」という感想戦からの、「絵って光の当たり方でもけっこう印象変わるんですよ~ よかったらイーゼルのお席で光当てながらご覧になりませんか?」とそのお気に入りの1枚とともに席へ誘導。この席で、後で紹介するテクニックの数々がさらに繰り出された。
ここまでの流れの時点で結構考えられてるなと思う。1回目・2回目は一般的な話と、「私もこの絵や作家さんのこういうとこ好きなんですよね~」ぐらいで留め、あくまですぐに解放することで、警戒心を弱めさせていると推測。複数回に分けるのは「すぐ解放」を印象づけるためと、話しかけてくる女性を邪険に扱うようなややこしい奴じゃないかの確認も兼ねてると思われる。あと職業の確認とかもきちんと入った。フリーターですとか言ってたらルート分岐したのかな。 - 全肯定
とにかくすべてのリアクションを肯定してくれる。「わかります」「ほんとそれですよね」「えっすごい」「そうなんですよ~」などの嵐。まあ悪い気持ちはしないのが悔しいところ。でもおじさんね、素直に喜んで心開けるほどまっすぐな心をもう持ってないんだ、ごめんよ… - 「絵のある生活」の想像をかき立てる
「光の当て方で印象変わる」の話から、「なのでたとえば窓際に置いておくと朝の光、昼の光、夜の蛍光灯、それぞれ違う表情を見せてくれるんですよ」とか、「『飾ってみた』ってお部屋のお写真送ってくださるお客様もいるんですよ~」って部屋に置かれた絵の写真を見せてくれたりとか、「絵を肴にお酒を飲むってお客様もいらっしゃいますね~」とか、「帰ってきて今まで何も無かった壁に絵があるとやっぱいいな、って思ったっていうご感想もよく聞きますね~」とか、絵と日常生活の距離を縮めようとしてくる。これは個人的に結構効いた。その想像は確かに甘美。ただ幸か不幸かこれ↓を思い出してしまい我に返ることが出来た。ありがとう生ハム原木。生ハム原木が家にあると、ちょっと嫌なことがあっても「まあ家に帰れば生ハム原木あるしな」ってなるし仕事でむかつく人に会っても「そんな口きいていいのか?私は自宅で生ハム原木とよろしくやってる身だぞ」ってなれる。戦闘力を求められる現代社会において生ハム原木と同棲することは有効 pic.twitter.com/SNwQiMoGvN
— パトポッポ (@flowertoman) 2019年7月8日 - たくさんの人がすでに買って満足しているという話
まあ定番だけど、飾られた絵の写真とか含め、たくさんの人がすでに買っていることを匂わせる話が巧みに織り込まれている。値札にも「○○様売約済み」という札が付いてる作品がいくつかある。多くの人が買っているというだけで安心感ありますよね。まあAmazonのレビューは信じられませんが…
それと「皆さん買うときには悩みはりますし、夫婦げんかになったりする人もいますから(=あなたが悩むのも当然です)」という、全肯定の派生技みたいな寄り添い小技も。それでも最終的には全員良い思い出になっているらしい。最低でもネタになると(お前が言うな!と言いたくなるのを社会性フィルターで押さえ込む) - 数に限りがある&後で買うぐらいなら今の方が安い可能性が高いという話
これも定番だけど、まあくすぐられますよね。特に今回は複数の絵師さんの画展が同時開催されていて、平均価格が年齢順になっていて、それも「今が一番安い」の説得力に一役買っている。なるほどそのための同時開催か…とつい邪推。 - 月割りや日割りで考えると意外と高くないという話
何十万円もする絵だけど分割払いにすれば手数料込みでも月々数千円なので携帯代ぐらい!さらに日割りで考えると1日300円強!コンビニスイーツ我慢する程度のことで自宅に絵のある文化的な生活!「大阪の人によく聞かれるんですけど」というギャグっぽい出し方もポイント高い。ここからさらに「残りの人生で日割りしたら今買うのが一番安い」説でも繰り出されてたらやばかったかもしれない。
印象に残ってる内容としてはこんな感じ。アート・オブ・セールス・オブ・アートだった。入場無料は撒き餌。ただより高いものはない。この世の真実を垣間見た休日でした。
私の研究テーマの変遷と「人生の選択」的なイベント(学部~博士を中心に)
(もう5月だけど)ついに学部ゼミ1期生が卒論を書く年度になった。博士前期課程の1期生も入ってきた。なんだかもうすでに感慨深い。
卒業研究を控えた学生さんの悩みと言えば研究テーマと就活。研究テーマは、ひとまず卒論1期生には昨年度から興味のあることを教えてもらって、関連しそうな研究を自分で調べてもらったり、こちらが連想した論文を渡したりして、読んで何を感じたかなどをまた聞いて、…を2-3周して大まかな方向性を決めてもらった。なんとなくは決まってよかった。就活はまあ、みんながんばれ。きっと大丈夫。
とはいえそう簡単に決まらない人や、一応決まったけど実は煮え切らない思いをしている人も中にはいるはず。ていうかかつての私がそうだった。人に相談しなさすぎたのもあるけど。そんなわけで私はライフステージごとに進路選択も研究テーマもコロコロ変わっている。
この記事では私の学部時代から博士後期まで、何を考えてどんな風にテーマを決めてきたか、振り返ってみる(クソ長いので注意)。そして最後にそれらを踏まえて今「人生の選択」的なのに対しての私なりの捉え方を簡単に。結論だけ先取りすると、
- 未来はどうせわからない
- だったら今考える効率や正しさにこだわらず、むしろ過去の選択をどう活かすかを考えた方がたぶんいい
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若手研究者に刺さるHUNTER×HUNTERのセリフ
HUNTER×HUNTERの世界においてプロハンターとは、年に一度のハンター試験に合格した者だけに与えられる称号である。
ハンター試験は非常に厳しく、並の人間では受験会場にたどり着くことすらできない。その受験会場を探し当てた上で、数々の何が課されるかもわからない試練を乗り越え、試験委員に合格を認められ、はじめてプロハンターを名乗ることができる。
しかしハンター試験合格はプロとしてのキャリアの始まりに過ぎない。プロハンターになった者は、続いて念能力の習得という「裏試験」に晒されることになる。念能力を習得してようやくそれなりのハンターとして認められる。念能力を持たないハンターは、ライセンスを持っていても、その辺の事情を知る人に信頼されない。
プロハンターになることと比べれば博士号取得は簡単だ。大学院入試の受け方は研究科のウェブサイトを見れば公開されているし、在学中に課される試練の内容もだいたいわかっている。それでも審査に通れば一応その分野の博士であり、プロ研究者と認められたことになる。もちろん未知への挑戦ではあるのでいろいろな障壁はあり、そう簡単に博士号が得られるわけではないけれど。
「裏試験」はある意味ハンターより厳しいかもしれない。ハンターライセンスが「持ってるだけでも一生 何不自由なく暮らせるはず」(5巻P43)と言われる一方、博士号は「足の裏の米粒」などと言われる始末。
博士号を手にしたからと言って研究職の就活で履歴書を見てもらえる以上の特権などないし、日本の多くの企業ではむしろ就職できなくなってしまうという話さえある。
さりとて研究職のポストも潤沢ではないので、そう簡単になれるわけではない。「ポスドク問題」などと検索すればその一端を垣間見ることができる。
博士号を取ったからと言って一定の生活が保障されるわけでもなく、それでも業績を重ねていかないと専門家と見なしてもらえなくなることすらある、修羅の道。
そんなわけで博士とハンターは、プロ認定にはライセンスが必要かつ、認められ続けるにはライセンス取得後も研鑽に励まなければならないという点でちょっと似ている。
そこで、なんだか刺さるHUNTER×HUNTERのセリフを紹介!(HUNTER×HUNTERの話がしたいだけ)
- 「これら全てをこなすためには深遠な知識と健全な心身・強い信念が必要なのは言うまでもない!!ハードだがやりがいのある仕事なのだよ!!」(1巻P113)
研究職もハードだがやりがいのある仕事なのでがんばろう(がんばるぞ) - 「大事なのはハンターになってから何を成したのか ですよ」(4巻P173)
大事なのは博士になってから何を成したのか ですよ!(白目) - 「どんな奴でも痛めつけられた相手を見る目には負の光が宿るもんだ … しかしゴンの目にはそれがなかった … あいつの目はもうそのこと忘れちまってるんだぜ」(4巻P179)
議論で完敗しても終わったら楽しく乾杯できる感じでいたいものです - 「くれぐれも相手と自分 相互の体を気遣うようにね」(6巻P12)
天空闘技場でのウイングさんの地味に好きな言。バトルだからって全力で潰すのはやっぱ違うよね - 『昔の訓示に「物事とは中途半端に知ることで 何も知らないよりわからなくなる」 とあります』(6巻P33)
ほんまそれというか、新しいことを知れば知るほどわからないことが指数関数的に増えていきますよね… - 「もし真剣に念を極めたいなら 誰かの能力をマネしようとするのではなく まず自分の資質を見極めることが大切です!」(7巻P40)
参考にはしても、あくまで自分の個性に基づいてオリジナリティを追究するのが大切ですよね - 「何を思い 何に怒り 何を好み 何を求めるか 何処を旅し 誰と出会い どんな経験をするのか… それら全てが君達の念を形づくるのです! 君達はまだ発展途上です 器もできていない できるだけ自分の器を大きく育てなさい そのための修行なのです ガンガン鍛錬に励みなさい そして同じくらい遊んで人生を楽しみなさい」(7巻P41)
教える側になった今ますますジーンときますね…こんなこと言ってて説得力のある人になりたい - 「まず鎖を具現化しようと決めてからはイメージ修行だな (中略) しばらくしたら毎晩 鎖の夢を見るようになって その時点で実際の鎖をとりあげられた そうすると今度は幻覚で鎖が見えてくるんだ」(13巻P124)
このぐらい何かに入れ込める人間でありたかった…
†闇†番外編
- 「狙う獲物によっては仲間同士の殺し合いも珍しくねェ職業だ」(1巻P38)
ポストの数が圧倒的に足りていないので、タイミングによっては友人同士で1つのポストを争うことにもなりかねない職業、それが研究職… - 「バ…カな オレは……とんでくる曲刀を受けれるようになるまで半年以上かかったんだぞ!!」(3巻P44)
いるんですよ、自分が必死でよじのぼって越えた壁を易々とまたぐように越えて人が… - 「年々これがしんどくなってきてねェ でも開けられなくなったらクビだから必死ですよ」(5巻P85)
わかる…まだ30代だけどほんと年々いろいろしんどくなってくる…でもテニュア審査通らない限りはできなくなったらクビだから必死… - 「いやって程 思い知らされたからな 分相応ってもんがあることをよ」(5巻P110)
いるところにはいるんですよね…マジでとんでもない人がゴロゴロと… - 「ここにいる間 千回 負けることを覚悟しなさい」(6巻P26)
ここ(アカデミア)にいる間 千回 リジェクトされることを覚悟しなさい - 「あのクラスにいるのは全員が念の使い手です そして念を知らない者が上がってくると必ず洗礼をします」(6巻P74)
いますよね、洗礼してくる先輩(自分も何気ない所作が洗礼になってしまわないよう気をつけたい)… - 「キミの敗因は 容量の無駄遣い♥」(6巻P198)
器を大きく育てようとは言っても、やはり向き不向きはあるもので、向いてないことを頑張るのはほどほどにしておかないと病みます、マジで
レベル上げと探索は暇が許されるうちに&それに対する反骨心
学生の皆さんは入進学・進級おめでとうございます。社会人の方もいつもおつかれさまです。未就学児は読んでないと思うのでスルーします。読んでたらすごい。 新年度が始まるので自問自答も兼ねて偉そうな人生論。
レベル上げと探索は暇が許されるうちに存分にやりましょう。
ゲームでも人生でも。 昨年春に助教になり、授業を受け持ったり教授会に出させてもらったりちょっとずつ分掌の仕事を垣間見たりするうちに、怖ろしくなってきています。仕事多すぎ。 まだ新米なので暇も多いとは言え、以前と比べると自分のために使える時間は明らかに減りました。 私は今のところ独身ですが、子育てや家庭生活と仕事を両立してる人、マジで超人だと思います。
そして忙しさが見えてくるほどに、自分が保守的になっていることに気づかされます。 生来のそそっかしさのため結果的に攻めた振る舞いをまだそこそこしてはいると思いますが、無謀かもしれないと思えるようなことを進んでやる気にはとてもならなくなりました。 予防線もたくさん張ってはきたものの、それでも綱渡りを失敗したらまた就活、そこでうまくいかなかったら最悪無職というプレッシャーはなかなかのものです。
こうなると、できるかどうかわからない未知の世界に飛び込むよりも、今確実にできることを最大限に活用して無難にやり過ごすことをどうしても優先したくなってしまいます。 それでは面白いことなんてできないよなあ…という心の声が聞こえてきても、後ろ髪引かれながら黙殺しています。 こういうこと自体はずいぶん前から少しずつあるんですが、その頻度が年ごとに増えています。そしてたびたび後悔しています。あのとき始めてれば今頃はnヶ月とかn年とかの経験になってて、もうそこそこできるようになってたのかなあ…と。最近こんなことばっかりです。
翻って学生時代を思い返すと、どんなけ惰眠をむさぼってたんだ自分、という。 授業行かずに寝てたり漫画読んでたり歌ってたりといった時間も貴重な思い出には違いないわけですが、こんな仕事に就くならもうちょっと真剣にやっておくべき勉強もあったよなと思うわけです。 私にとってのそれは具体的には英語と数学とプログラミングで、ほんとにこいつらが中途半端なせいでいろいろなことの心理的ハードルがどれだけ上がっているか。 あるいは中途半端でも多少できるがばかりに手を出してしまって苦労している側面もあるのでしょうけど。
私の場合は仕事がら勉強らしい勉強をもっとやっとけばよかったという後悔が大きいわけですが、全然違うベクトルでそう感じていることがある人もいると思います。 もっと旅行行っとけばよかった、もっといろんなバイトしておけばよかった、もっといろんな趣味を開拓しておけばよかった、などなど(こっち方面でも楽器扱えるようになりたかったという後悔があります、私の場合)。
つまり何が言いたいかというと、
- 年齢が上がると忙しくなって、それまでに獲得したものだけで何とかしなきゃいけない局面が来る
- そのときのために、若いうちにレベルを上げておこう
- また、自分が他人より苦労せずうまくやれることは何なのかを見つけるべく、いろんなことに手を出して可能性を探索しよう
ということ。
とはいうものの
そんなことを考えては書きかけては脳裏によぎるセルフツッコミがありまして、それは若い内からそんなこと考えなきゃいけない社会ってクソすぎませんか?ということ。 そもそももっと気楽に人生やり直せる社会なら、そんなこと考えないでもっと気楽に隙だらけで生きられるわけです。 でも、社会を信じて自由気ままに生きてたら人生詰んでしまいましたと言われても困るので、若い人に余計な苦労をして欲しくないと思ったら上記のように言うしか無いのです。
そんなわけなので、どうか後悔なきように時間のある若い時代を、レベル上げや探索にゴリゴリ費やしていただきたいです。 そして培った能力を発揮して、年を取ってから「それが正しい生き方だ」と若い人に言わなくて済むような社会を作り上げていただきたいです。 同時に、みんながみんな自身の快楽の追求を優先したらそれはそれで社会が持たないと思うので、年を取るほど社会を維持するためにも能力を発揮していただきたいです。
さて、そんなことを言う自分には、そのために今後どんなことがどのぐらいできるんだろうか。 年齢を顧みたり「先生」と呼ばれる機会が増えるにつけ、もう若いつもりでいるわけにもいかんのやなという思いが強まるものの、若い人にこそ攻めてってもらいたいと言いながら守りに入ってはいかんでしょということで、まだもうちょっと若いつもりで攻めの姿勢を崩さずやっていきたいですね。
分散分析のF値から効果量偏イータ二乗を求める方法
事前の検定力分析をやるのが当たり前な風潮になってきた今日この頃、困るのが直接の親にあたる感じの先行研究で効果量が報告されていない場合。2010年前後ぐらいまでの研究だとけっこうある。
t検定のCohen's dは平均値の差と標準偏差の比なのでグラフや表を見ればだいたいわかるけど、分散分析だとそうもいかない。
とはいえ本質は分散説明率だし、ワンチャンF値から求められたりしない?と思って調べてみたところ、ありました。やったぜ。
理屈
まず、分散分析表とF値は次のような関係になっている。
そして偏イータ二乗は次式で定義される(要因が増えても同じ):
以下、分散分析表の中の情報を使って①を変形すると上の定義式が導けることを示す。
腕に覚えのある人やパズルが好きな人はチャレンジしてみよう。そんなに難しくないです。
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