らくがきちょう

文字数制限の無いTwitter的な

レポート・論文は形式が9割

 「○○は××が9割」というフレーズを目にすると「どのように数量化したのですか」「その妥当性はどのように担保されるのですか」と聞きたくなります(職業病)。

 

 それはともかくとして、「最近の若者は」みたいでアレなんですが、大学教員になってからというもの、形式のなってない原稿を目にする機会が想像以上に多くて、学期末が来るたびびっくりしています。まあ、私自身が学生の時にちゃんとできてたかというと自信は無いのですが…

 手の届く範囲だけでも、形式は重要ですということを強調する文章をしたためて読んでもらわないといかんなと思ってこの記事を書き始めました。

 タイトルの「9割」は冗談ですが、形式はめちゃくちゃ大事です。以下、その理由を述べていきます。

 

 なお、この記事で特に想定してる「形式」とは、「文章は段落分けしましょう」「段落の頭は1字下げましょう」「~である調で書きましょう、ですますやめれ」「口語は最大限避けましょう」「特別な理由がなければ現代仮名遣いで書きましょう」「その他指定された書き方を守りましょう」ぐらいの話です。序論・本論・結論とかそういうのはもうちょっと進んだ話というつもり。

 

 

形式は第1印象

 「形式がなっているか」は成果物の第1印象=ぱっと見の印象を決めます。いわば、人間の服装みたいなものです。

 

 お葬式にジャージとビーチサンダルでやってきたらひんしゅくを買うのはわかってもらえると思います。逆に、文句の付けようもなくビシッと決まった礼装も、「今から砂場で泥んこ遊びをします」みたいな状況だったら「何しに来たんじゃこいつ」となります。

 このレベルで場違いな原稿をレポートや卒論で見たことはさすがにありませんが、文章にも同じように、TPOに応じた適切な形式というものがあります。

 

 たとえばフォーマルな手紙では「拝啓、(時候の挨拶)…(内容)…(お体にお気をつけくださいなど締めの挨拶) 敬具」みたいに書く、というのはきっと小学校で習ったと思います。でも友達とのLINEでいちいちそんな書き方する人はたぶんいません。いたらかなりの変人と思われてるはずです。

 読書感想文や入試の小論文なども、最初のマスを空けずに書き始める人はあまりいないと思います。「段落分けせよ」「段落の頭は1字下げろ」と小中高等学校や塾で厳しく指導されてるはずだからです。

 

 このようないわば「常識」みたいなところががぱっと見で逸脱していると、内容に入る前に「なんじゃこれは」となってしまうのが人の性(さが)です。

 

 

形式を整えるのは内容を充実させるより圧倒的に簡単

 あなたは場違いな服装で現れた人にどんな印象を抱きますか?よっぽど&確固たるコンセプトが見いだせれば一周回ってアートを感じることもあるかもしれませんが、だいたいは「こいつは常識が通じなさそうだ、近寄らんとこう」だと思います。形式が整ってない文章を見たときの印象も同じです。「こいつには常識的な内容は期待できなさそうだ」と感じます。

 

 なぜそう感じるか。それは、形式を整えるのは内容を充実させるより圧倒的に簡単なはずだからです。

 習ったとおりに書く、もしくは習ってなくても、今まで見てきた教科書や論文などと同じような見た目になるように書けばいいだけの話です。それは特別難しくはないはずです。形式が指定されているならなおさらです。めんどくさいのは同意しますが、内容と違って、頭を使う必要のないところです。

 にもかかわらずそれができてないということは、「筆者はこの文章をいい加減な気持ちで書いている」という言外のシグナルになり、論理的推論を一歩進めれば「常識的な内容を期待できるとは思えない」という判断に至ります。読みたい気持ちがたちまち消え失せます。

 

 服装のたとえで言うなら、学位論文はフォーマル(とても格式の高い式典)~セミフォーマル(入学式・卒業式・結婚披露宴ぐらい)、期末レポートはスマートエレガンス~インフォーマル(まあまあいいお店でのパーティー)、せめてやや堅めの業界のビジネス(スーツで勤務)ぐらいだと考えておくとよいと思います。

 そういう場にユニク○ずくめ(ブログぐらい?)やジャージ(気安い友達とのLINEぐらい?)がやってきたら、たとえその人にとってはいつもよりパリッとしてるのだとしても、「なんじゃこいつ」ってなりませんか?*1*2*3

 

 

レポート・論文の読者はあなたのことを基本知らない

 「私はそんないい加減な気持ちでは書いてない」「最低限の常識はわきまえてるつもりだ」「ちょっとミスっただけだ」と言いたくなる気持ちはわかります。わかりますが、そもそも論文やレポートを読む人は普通あなたの友人や家族ではありません。だから普段のあなた、本当のあなたがどんな人なのかなんて知りません。

 たまたま普段の授業やゼミを笑顔で聞いて・話してくれるのを知っていたとしても、まともな教員は権力勾配が存在してる時点で、本音で付き合ってもらえてるなどとは思ってません。なので本当のあなたがどんな人なのか(どのぐらい課題や授業内容を理解しているのか)を判断するための手がかりは、渡された文章しかないのです。そしてそれ以外の要素で判断すべきでもありません。

 まずそれが大前提で、そのうえで同じタイミングで提出された他の人の文章や、過去の似たような状況での記憶の中には、形式がちゃんとしてるものも必ずあります。すると相対評価で「こいつはちゃんとしてそうやな」「こいつはいい加減そうやな」となってしまうのです。

 

 このようにして、上で書いたように「形式は第1印象」となるわけです。「ちゃんと書いてる」「常識が通じる」とわかってもらうためには、最低限の期待を持ってもらうためには、いつでもTPOをわきまえた文章を書くしか方法はありません。

 

 

 

今すぐ形式を整えよう&形式を整えてから書こう

 そんなわけで、書きかけの原稿がある人は今すぐ形式を整えてください。そしてこれから書く部分は「書き終わってからまとめて直そう」じゃなくて、最初からその形式に従って書いてください。それを当たり前にしてください。就活の面接にパジャマで行こうとは考えないのと同じぐらいの感じにしてください。

 

 具体的な形式の例は「レポート 書き方」とでも検索すればなんぼでもヒットします。なんならあなたの大学の先生が作った資料が公開されてることも多いです。細かいところはそれぞれバリエーションがあるでしょうけど、だいたいどこでも同じことが書いてあります。まずは自分の大学の自分の学部発行の資料がないか探してみて、それを遵守するところから始めましょう。

 手元に印刷物としてあった方がうれしい人は大学の図書館に行ってみましょう。けっこうそういうお役立ちパンフレットが「ご自由にお取りください」になってます。

 

 中身の話はそれからです!

*1:教員はしばしばそんな気持ちを抱えながら、何十本、ときには百本単位のレポートを、歯を食いしばり頭を掻きむしりながら読んで採点しています

*2:大学教員なんてだいたいいつもめちゃくちゃな格好やないか特にお前、という指摘は棚上げさせてもらいます。すみませんすみませんすみません

*3:ついでにいうと、電子メールだけは不釣り合いなほど訓練されてる学生が多い気がしていて、でもゼミ生とかになったらもはや格調高くする意味はないと思っていて、そういう無意味なことに時間使って欲しくないから、格調高い文章を書きたい気持ちにならないで済むインターフェースのSlackなんかを使いたいわけです