らくがきちょう

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私の研究テーマの変遷と「人生の選択」的なイベント(学部~博士を中心に)

 (もう5月だけど)ついに学部ゼミ1期生が卒論を書く年度になった。博士前期課程の1期生も入ってきた。なんだかもうすでに感慨深い。

 卒業研究を控えた学生さんの悩みと言えば研究テーマと就活。研究テーマは、ひとまず卒論1期生には昨年度から興味のあることを教えてもらって、関連しそうな研究を自分で調べてもらったり、こちらが連想した論文を渡したりして、読んで何を感じたかなどをまた聞いて、…を2-3周して大まかな方向性を決めてもらった。なんとなくは決まってよかった。就活はまあ、みんながんばれ。きっと大丈夫。

 とはいえそう簡単に決まらない人や、一応決まったけど実は煮え切らない思いをしている人も中にはいるはず。ていうかかつての私がそうだった。人に相談しなさすぎたのもあるけど。そんなわけで私はライフステージごとに進路選択も研究テーマもコロコロ変わっている。

 この記事では私の学部時代から博士後期まで、何を考えてどんな風にテーマを決めてきたか、振り返ってみる(クソ長いので注意)。そして最後にそれらを踏まえて今「人生の選択」的なのに対しての私なりの捉え方を簡単に。結論だけ先取りすると、

  • 未来はどうせわからない
  • だったら今考える効率や正しさにこだわらず、むしろ過去の選択をどう活かすかを考えた方がたぶんいい

 

学部(2004.4-2008.3)

 何も考えてなかったとしか言いようがないですね…。

 というか最初は臨床心理士の資格取得を目指していたもののの、いろいろあってやめることにして、抜け殻状態で4回生になった。なので5月ぐらいに演習の授業で発表担当になったとき、徹夜で無理矢理絞り出してそのまま発表したらコメントもらってる最中に倒れて気が付いたら保健診療所に運搬されてる途中だったみたいなやらかしもあった。

 結局そのあと実験になりそうな素朴な疑問を探すことにした。ある日、機動戦士ZガンダムのDVDを見ていると、音楽が尺の都合で伸び縮みさせられて音高が微妙に変わってることに気が付いた。これだ!!!と閃いて、移調しない程度に音高を変えたら曲の印象って変わるんだろうか?みたいな卒論をやることにした。時期も差し迫ってたので一気呵成に実験を組みたて、学園祭期間に実験室に半ば寝泊まりしてデータ取ったのが懐かしい。お正月も学部の情報端末室で迎えた。院生の先輩が持ってきてくれた金箔入りのめでたい日本酒が心にしみた。なお思ってた有意差とかは全然出ず、失意に暮れながらなんとか命からがら卒業<サバイブ>できたぜという感じ。

 

修士課程に入るまで(2008.4-2012.3)

 その後修士課程は受験したけど完全に燃え尽きてたのでこのときは当然落ちた。なにしろ名前と受験番号以外白紙で提出したので(博士前期課程だけに) その年はしばらく療養とバイトしながら取りきれなかった教職の単位を集めたりして、12月から臨時講師で働き始めて社会復帰したりしたけどそれはまた別の話。中高数学の教免取っといて命拾いした(これも悩み多き中学高校時代から続くブレブレ進路選択の副産物)。

 翌4月から他校に移ってそこで3年働いたのの途中で勤務先の近くに音楽教室ができて、声楽もあったので通い始めると、なし崩し的にその先生の合唱団に参加することに。その合唱団ではボイストレーナーとしてもう一人先生が来ていたのだけど、先生2人の指導の仕方が全然違った。そしてそういえば大学の合唱サークルのボイストレーナーの先生も誰一人同じような教え方はしてなかった、ていうか互いに矛盾すらしてない?みたいなことを思ってしまったのが運命の分かれ道というか運の尽きというか。

 それからボイトレ本を買い漁ったりCiNiiで論文とか検索するようになり、やがて解剖生理学はともかく訓練の仕方や教え方には基本的にほとんどコンセンサスがないんだなとある意味では諦める。しかしそこに「教師のバトン」的な事情による断固転職の決意の勢いが加わって、これをテーマに大学院に行くと決めた。ちょうどサークルの後輩も運動の制御や学習をテーマに掲げるラボで声楽をテーマにしていたので、頼りにしてラボ訪問したりして受験、夏は落ちたけど冬に合格して春から晴れて院生に。これでもう一度新卒になれる!

 

修士課程(2012.4-2014.3)

 ラボの先輩になったサークルの後輩(ややこしいので以下Mさん)と一緒にやるぞと胸を躍らせながら始まった学生生活に早速の暗雲。Mさんはすでにほとんどラボに来なくなっていた…。そして先生も実は音楽に詳しいとか興味があるというのではなく、ある異動した先生のラボにいた学生をたまたま多く引き継いだのであり、Mさんもその1人に過ぎないのだった(このあたりは大学院のシステム含め当時は全然わかってなかったので、はっきりわかったのは結構後になってからだった。わかってから振り返ると確かに先生はオブラートに包みながらもサインを出していた。それもラボ訪問の時点で)。

 もはや右も左も上も下もわからなくなってしまったものの、しばらく経ってゴールデンウイーク明けの抄読会当番を仰せつかる。先生が示してくれたのはタッピング課題の論文。とにかくそれの解読に全力を注ぐ。難しくて全然わからなくて説明も下手なので無様な抄読会当番になったものの、「リズム感」というヒントはいただけた気がした。そこで、先生の専門領域にタッピングは無かったものの姿勢のゆらぎがあり、ラボのメンバーも姿勢のゆらぎの研究を結構やっていたので、リズム感と姿勢動揺をからめてなにかできないかということで考え始めた。

 そして悩んでいる内に修士課程が終わった。まあ実験も分析もいろいろやりはしましたが、全然ダメでしたね…。今から思えばなんで素直にタッピングの研究をやらなかったのか謎とも言えるけど、当時は卒論の失敗で1人でなんとかする自信が無かったことや、D進へのほのかな憧れもありとにかくメンターが欲しかったので、主観的には合理的な選択のつもりだったのだけど、修士課程はひたすら迷走してたら終わったと言わざるを得ない。人を頼るのも下手すぎたし。まあ長期的にはそのとき身につけた解析とかもいろいろ役立ってるので人生わからんもんです。

 一方、折に触れて助けてくれた別の先輩の紹介で行ってみた研究会で、演奏を運動科学的な視点から研究するというビジョンを理解してくれる先生に出会えたという僥倖もあった。そしてその先生のラボを博士後期課程からで受験させてもらうことにした。願書と共に修論を出さなきゃ行けなくて、願書の〆切が研究科の〆切より1日早かったので、必死で早朝に書き上げて印刷・仮製本して新幹線に飛び乗って持っていって出願して即帰ってきて最後の修正をして研究科に提出。合格発表の日も、Twitterで「合格発表出た」というつぶやきを見つけてやきもきしながら1時間に1回郵便受けを見に行ったものの19時ぐらいまで結局合否通知が届かず「落ちたんやな…」と落胆して諦めた次の朝、いつの間にか届いてた封書を開けたら合格だった。あのあたりのアップダウン、すごかった。

 

博士課程(2014.4-2017.4)

 大急ぎで入学手続きやら引っ越しやらして上京。研究に関して負け続けてたので敗走東下りとも言える。ともかく環境を変えて再スタート。自己紹介を兼ねた「こんな研究やってました」に対して複数の先生から「一旦忘れてやり直したら」と言ってもらえたので、未練はあるけどもう全部忘れて原点に還り、声楽…いやまあでも上手く歌えれば何でも良いわ、その意味でリズム感自体は先行研究も多いし悪くない、この筋で何か…息が合うとかノリが良いとかって何なんだろうねえ…?みたいな感じで4月頃からそれについて考え始めた。ムジカノーヴァの合奏や連弾の特集記事を片っ端から取り寄せたり、タッピングの文献を片っ端から読んだりした。

 その中でタッピングのタイミングの系列にあらわれるフラクタルに触れてる論文がいくつかあり、だんだん関係あるかも…?な気分になってきて、それらを文章化して研究助成に出してみたりしながら、2014年末ごろから2人組での同期タッピング課題のデータを長めに取って分析してみるという試みを始めた。結果、よくわからなかった。ただし、みんななぜか速くなってた。これがラボミーティングでウケて、ひとまずこれ論文にしようぜ!ってなって、爆速で倫理審査受けて爆速で実験やって爆速で分析したら再現性が確認できたので、4月末には初稿が書き上がった(ただし考察がまだまだ浅かったので、投稿はまだお預け)。

 そこからはその内容を学会発表したり、その先にある「息が合う」をフラクタルで考える話の展開と具体的な作戦や分析のプログラム書いたり結果の解釈を理解するための基礎の勉強とかに目を奪われたりしながら、2016年3月頃にようやく投稿。これが私の代表作の2017年サイレポの「速くなった」論文。

 なお2016年1月にはフラクタルの話も一定の進展をさせられたので、それを国際学会に投稿して、夏に発表。秋はギリギリまで追加実験とかして、11月から博論書き始めて12月上旬に締め切りギリギリで博論提出。2月末ぐらいにようやくアクセプトされたので3月中旬に最終審査してもらえることになった。このため3月の卒業式には間に合わず、私の学位記は4月27日づけで学位取得という中途半端な日付になっている。

 3月の残りは就活と、並行して出したいデータ・行きたい国際学会があったのでそれの分析や執筆など。幸い就活はすぐ拾ってもらえた。そして2016夏の国際学会のデータとこのたびの国際学会のデータを合体させて追加解析を加えて出したのが2019年Physica Aのダイナミクス論文。

 

ポスドク(2017.5-2021.3)~ 現在(2021.4-2023.4)

 まだ出版できてない研究ばかりなのでまだ具体的に書きづらいのでざっくり。紹介により2017年5月から立命館のスポーツ健康科学部でポスドクをさせてもらえることに(つないでくださった方々本当にありがとうございました!)。せっかくだしちょっと健康科学とかにも浮気して手を出してみたり、その流れでアスリートのコンディショニングに関わることになってみたり(最近ようやくトレーニング科学 35(1)に連名の記事が掲載)、貧乏性が板に付いてたのでセンサー自作などの電子工作にかまけてみたり。途中「おかしいな、道が逸れてきてないか」とか思ってしまったことも正直あるけど、すべては「アスリートのためのスポーツ科学があるように、パフォーマーのための科学を!」ということで。今は雌伏の時、世界よ今に見ていなさい、みたいなノリでチャンスを虎視眈々とうかがっていたら現職の公募があり、幸いにも取っていただけて、今に至る的な。この時期の経験はきっとこれから活きてくるはず。

 

振り返ってみて

 そんな遍歴なので、去年(2022年)から卒論1期生を受け持つようになり、ゼミや授業でも大手を振って音楽やダンスやアートの話が出来るのが本当にめちゃくちゃ嬉しい。いや別にそれまでのラボでも隅で縮こまってたわけではないけれど、やっぱりスポーツ科学の研究者のフリするのには若干の罪悪感があるというか。まあ今も教養の授業では体育の先生のフリしてるけど。

 主観的にはほぼ行き当たりばったりなのだけど、振り返ればストーリーっぽくなるというか「演奏訓練に科学を」という芯だけは一応通っていて、そして回り道をしたと思っても「後で効いてくる」ことってあるものだなあと。特に修士課程時代は正直かなり悔いのある過ごし方だったけど、この頃に姿勢のゆらぎでもがいてなかったら、デジタル信号処理とかスペクトル解析とかそれがらみのプログラミングとかの修得がもっと遅れていた可能性があって、それは後の展開も左右しかねない違いだったなと。もちろんここで独自路線を貫くことにしてタッピングで研究始めてたら、それはそれで別なルートに分岐しただろうけど、どうなったかは全く想像が付かない。

 なんなら「複数人でのタスク」という意味では実は学部3回生のときの実験心理学の実習にもさかのぼれたりもする。一緒に受講した同期がカメレオン効果という論文を見つけてきて、それから発想を膨らませた実験をやった。しかも有意差がでた。あれそのあと誰も論文にしなかったのもったいなかったな。ともかく、カメレオン効果は博論でも引用したし、授業や講演のネタとして使うこともある。博論書きながら言及の価値があることに気づいて「10年越しの伏線回収~~~~!!!」とか夜中にひとり院生室でテンション上がって叫んでた。

 

「人生の選択」的な何かについて

 そんな感じなので、もはや最初なんのために書き始めたのか忘れかけてたけど、こういう人生もあります >卒研のテーマや進路に悩んでる学生さん

 一番言いたいことは、未来は常にわからんということです。当時「これが最善だ」と思った選択も後から振り返れば全然ダメに思えるかもしれないし、「ひどい時代だった」と思う時期があったとしても、数年後に役に立つこともある。それならば、適切に時期を区切り、時期が来たら不満があってもどれかに決めて腹をくくってやってしまい、「その選択が良かったのだ」と思える後日が来るのを待つ。そんなスタンスもありなのではないかと。

 もちろん軽率に決めることを推奨してるわけではないので、しっかり悩みましょう。悩めるのも学生の特権です。存分に行使してください。でも悩みすぎて選択肢を増やしすぎると、最善の選択肢を思いついていても、それを選べなくなるリスクまで増えるという考え方もできます。それよりは、くり返しになるけど「この選択を最善にしてやる」「役に立つかじゃない、役に立ててやるんだ」みたいな気概で生きた方がたぶん楽しいと思います。だからって昔取った杵柄にこだわりすぎるのもよくないでしょうけど。

 まあ結果として何を選んだとしても、必死で考えて感じて行動すれば何かの肥やしにはなるはずです。失敗や無駄を恐れない未来志向で行きましょう。