らくがきちょう

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フロイトから考える科学コミュニケーションのアンチパターン

 精神分析学の始祖、ジークムント・フロイトの一般的な評価って不当だよなと思ってます。しかしそれって科学コミュニケーションに大失敗してる典型例の1つなんじゃないか、とふと思いました。

そんなわけで、フロイトを題材に、科学コミュニケーションのアンチパターンをちょっと考えてみました。結論としては次の2点が致命的な失敗(もしくはやりにくさ)なのかなと思います:

  • 「何をしたか」の話ばかりで背景情報が不足
  • パワーワードが悪目立ちする

本記事ではまず「フロイトって何した人?」をあえて雑に説明してから、上記2点について論じます。

 

フロイトってどういう人?

 「フロイト」+「精神分析」「無意識」「自我」「リビドー」「エディプス・コンプレックス」あたりで検索していただいたら雰囲気はわかるのではないかと思います。

参考に、私の環境で今(良くないけどありがちそうな調べ方として)「フロイト まとめ」とGoogle検索したときに出てきた上位5つのページのリンクを貼り付けておきます。

精神分析学の創始者”フロイト”の発達理論ってどんなもの?|お役立ち保育コンテンツ|保育士の転職求人なら「保育ぷらす+」

3分でわかる! フロイト『精神分析入門』 | 読破できない難解な本がわかる本 | ダイヤモンド・オンライン

心理学の三大巨匠!フロイト・ユング・アドラーの学説を知る

【フロイトの無意識とは】意識やエスとの関係をわかりやすく解説|リベラルアーツガイド

フロイト『精神分析入門』を解読する | Philosophy Guides

 

 どのウェブサイトも真面目なトーンで解説していますが、ここではあえてめちゃくちゃ雑に悪意すら感じるまとめ方をするならば、

 

「心の発達や病気を無意識とエロスで説明しようとした人」

 

…みたいな風に捉えられなくもないんじゃないかと思います。というか、そのように捉えてる人は実際けっこういるんじゃないかと(勝手に)思っています。

少なくとも、たとえば「フロイト トンデモ」でTwitterを検索すると、フロイト=「トンデモな人」みたいに認識してる人が少なからずいるように見えます。まあ実際個別の理論を見るとトンデモと言われてもしょうがない気はしますが。

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Twitterで「フロイト トンデモ」と検索した結果

 

 というわけで前置きが長くなりましたが、なぜこのような捉え方になっているのか。最初に示したように「何をしたか」の話ばかりで背景情報が不足という伝え方の問題と、そうなってしまう原因の1つとしてパワーワードが悪目立ちするというフロイト理論自体の問題があるのかなと思います。*1

 

「何をしたか」の話ばかりで背景情報が不足

 上に挙げた5つのwebサイトを慎重に読むと、「何を言った人か」という情報はたくさん書かれている一方で、「どういう時代にそういうことを言い出したのか」という話が全くと言っていいほど書かれていないことがわかります。*2

  

 たとえば無意識=人間の心には自ら把握できない部分があるという主張は、当時主流だったであろうデカルト以来の合理主義(人間の理性は他の力をかりずとも客観的真理を把握しうるとする哲学的立場)に反する考え方です。

実際、今日「実験心理学の父」と呼ばれるヴィルヘルム・ヴントフロイトより24歳年上の生理学出身の生理学者・心理学者)が重視していた実験データは「内観」、つまり自身の心の状態を自ら観察・分析するというものでした。

そのような時代に「人間の精神には自ら把握できない無意識の領域がある」という主張をフロイトはしたわけです。*3

 

 さらに、神経症の原因をその「無意識」という患者の内部の事柄に求めた点についても画期的です。なぜなら、精神病や神経症には、病気と言うよりは宗教的な罪の現れとか心霊現象とかの類いとして長い間とらえられてきたという歴史があるからです。*4

 

一方、今となっては無意識の存在を疑う人も、精神病・神経症を心霊現象と捉える人もほとんどいません。こうなると、無意識の発見も、それを神経症の病因論につなげたということも、ほとんど当たり前のことに思えて何が重要なのかがよくわかりません。背景と一緒に伝えて初めて、これらの業績の重要性も伝わります。

 

 なおこれらは「トンデモ」的な突拍子もない発想から出発しているわけではなく、言い間違いなどに代表される「錯誤行為」の研究や、「お話し療法」でヒステリー症状が軽減するといった 、少なくとも臨床経験という事実から着想を得たとされています。

もともとフロイトは物理学専攻から神経生理学専攻に移ってそれから精神科医になった人で、また無神論者でした。そんな来歴だからこそ、できるだけ人間の言葉や行動の意味を科学的な現象に帰着させたいという思いが強く、結果として現在当たり前に受け入れられている「無意識」や「精神病・神経症は心霊現象ではありません」という発想へ早い時期に至れたのではないかと個人的には思います。*5

  

パワーワードが悪目立ちする

 前項ではフロイトを擁護しまくりましたが、それでもやっぱりトンデモ扱いされるのは仕方ないように思います。なにしろパワーワードが目立ちすぎます。パッと思いつくだけでも「リビドー」「エディプス・コンプレックス」「肛門期」「男根期」「性器期」

こういうパワフルなキーワードは注目を集めたり*6 アイディアを手早く伝えたりには有効な一方で、一人歩きしてしまうという危うさも持っています。そこへ性的な要素が乗ってきたらもう大変です。

しかも、これらのアイディアには検証が不可能なものも含まれます。科学哲学者カール・ポパーはこの点から、精神分析学を疑似科学と見なしています。

 

 さらにフロイトにとって不幸なこととして、ユングアドラーラカンのように、影響を受けた次世代があらたなパワーワードを生み出しながらスピリチュアルや疑似科学の方面で有名になってしまったことも挙げられると思います。

もちろん彼らも無意識や「精神病・神経症は心霊現象ではありません」といった現代に通じるアイディアを受け継いでいて、心理学史に残っているだけある重要な仕事をしています。それでも新たなパワーワードとそれらを用いて作られた独自の理論は、科学の立場からは批判されても仕方ありません。

 

 そして20世紀も半ばになると、抗うつ薬抗精神病薬の発明により、精神病・神経症が生理学的現象であることはほとんど疑われなくなりました。哲学者らも西洋の伝統的人間観への異議を唱えるようになり(ポストモダン)、「無意識」を人々が受け入れる土壌ができあがっていきました。

こうしてフロイトの最大の業績は、いつしか前述のように「当たり前」になったのでしょう。しかしパワーワードは相変わらずパワーワードなのでますます悪目立ちしてしまい、ポピュラー心理学本やインターネットで繰り返し面白おかしく紹介されるなどして、現在の一般的評価に至っているものと推察されます。

  

まとめと科学コミュニケーションへの示唆

  • フロイトの「無意識」と、それを精神病・神経症の病因に結びつけた理論は画期的だった
  • しかし 1.時代背景が省略されることが多い上に、 2.パワーワードが悪目立ちして、評価が不当にゆがむのにつながったのではないか

というお話しでした。

 

 科学コミュニケーションへの示唆としては、上記2点目で示した2つの難点にいかに対処するかが、発信者の立場として重要だろうということです。

どちらも当たり前と言えば当たり前ですけど、この両方に配慮した上で「呼んでもらえる長さ」の記事を書くというのは地味に大変です。*7 フロイトは残念ながら、うまくやってもらいにくい理論を作ってしまい、実際うまくやってもらえなかった人の典型例と言えるでしょう。

 情報の受け手も言葉のパワーに惑わされず「どういう時代に提唱された理論なのか」「理論の本質は何なのか(または特に今現在でも重要とみなされているのはどういう部分によるのか)」などを見極めたり情報不足に気づいたり判断を保留したりするリテラシーを持つことが大切です(そう簡単に身につくものではありませんが)。

 

 大学教員としては、非専門の学生含め一般の方向けに話す機会もちょいちょいあるので、そのあたりに気を付けながら話を組み立てていきたいところです。一方学生さんにも、そのあたりに気をつけながら授業を聞いていただいたり、教員に質問してはっきり説明させたり、レポート・学位論文の執筆などを通してその難しさを体感しつつなんとかしようとする意識やスキルを身につけていただいたりしてほしいところです。

 

 

 

*1:他にも「膨大な仕事を簡単にまとめようとする」という試み自体が無茶という点もあると思いますが、あまり建設的に思えないので置いときます

*2:さすがにWikipediaでは(これを書いている2021年8月11日現在)「評価と業績」という項で多少触れられていたり「生涯」の項でヒントになるような事柄が書かれてはいますが、メディアの性質上ポジティブな意義を強調する形にはなっていないので、わかりやすくはないと思います。ジークムント・フロイト - Wikipedia

*3:当然内観に頼る心理学は後に客観性に欠けるとして批判され、その批判は客観的に観察可能な行動を根拠として心的過程を考えるべきとする「行動主義」につながりました。行動主義は精神分析と同時期(20世紀前半)に心理学界へ浸透していきましたが、無意識という概念は行動主義心理学より先に提唱されているようです。また、行動主義は意識・無意識以前に心の存在自体を前提とせずにヒトの行動を説明・予測しようとする点で精神分析とは異なります。

*4:たとえばCiNii 論文 -  イギリスにおける近代化と精神医療 : 精神障害はどう対応されてきたか 上島・渡辺・榊(編著). (2019). ナースの精神医学 改訂5版, 中外医学社 第1章(の立ち読みPDF)

*5:フロイトはおそらく「錯誤行為」や自由連想法夢分析を、無意識に迫るためのプローブとみなしていたのだと個人的には思っています。しかしそれが結果的に先入観や個人的な趣味に基づいてると誤解されやすい性理論に行き着いたのは皮肉です…

*6:そのために性的な要素を入れたわけではないでしょうけど

*7:この記事も、きっとここに至るまでに9割以上の読者が脱落してると思います。ここまでたどり着いてくれてありがとうございます