らくがきちょう

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レベル上げと探索は暇が許されるうちに&それに対する反骨心

 学生の皆さんは入進学・進級おめでとうございます。社会人の方もいつもおつかれさまです。未就学児は読んでないと思うのでスルーします。読んでたらすごい。 新年度が始まるので自問自答も兼ねて偉そうな人生論。

レベル上げと探索は暇が許されるうちに存分にやりましょう。

 ゲームでも人生でも。 昨年春に助教になり、授業を受け持ったり教授会に出させてもらったりちょっとずつ分掌の仕事を垣間見たりするうちに、怖ろしくなってきています。仕事多すぎ。 まだ新米なので暇も多いとは言え、以前と比べると自分のために使える時間は明らかに減りました。 私は今のところ独身ですが、子育てや家庭生活と仕事を両立してる人、マジで超人だと思います。

 そして忙しさが見えてくるほどに、自分が保守的になっていることに気づかされます。 生来のそそっかしさのため結果的に攻めた振る舞いをまだそこそこしてはいると思いますが、無謀かもしれないと思えるようなことを進んでやる気にはとてもならなくなりました。 予防線もたくさん張ってはきたものの、それでも綱渡りを失敗したらまた就活、そこでうまくいかなかったら最悪無職というプレッシャーはなかなかのものです。

 こうなると、できるかどうかわからない未知の世界に飛び込むよりも、今確実にできることを最大限に活用して無難にやり過ごすことをどうしても優先したくなってしまいます。 それでは面白いことなんてできないよなあ…という心の声が聞こえてきても、後ろ髪引かれながら黙殺しています。 こういうこと自体はずいぶん前から少しずつあるんですが、その頻度が年ごとに増えています。そしてたびたび後悔しています。あのとき始めてれば今頃はnヶ月とかn年とかの経験になってて、もうそこそこできるようになってたのかなあ…と。最近こんなことばっかりです。

 翻って学生時代を思い返すと、どんなけ惰眠をむさぼってたんだ自分、という。 授業行かずに寝てたり漫画読んでたり歌ってたりといった時間も貴重な思い出には違いないわけですが、こんな仕事に就くならもうちょっと真剣にやっておくべき勉強もあったよなと思うわけです。 私にとってのそれは具体的には英語と数学とプログラミングで、ほんとにこいつらが中途半端なせいでいろいろなことの心理的ハードルがどれだけ上がっているか。 あるいは中途半端でも多少できるがばかりに手を出してしまって苦労している側面もあるのでしょうけど。

 私の場合は仕事がら勉強らしい勉強をもっとやっとけばよかったという後悔が大きいわけですが、全然違うベクトルでそう感じていることがある人もいると思います。 もっと旅行行っとけばよかった、もっといろんなバイトしておけばよかった、もっといろんな趣味を開拓しておけばよかった、などなど(こっち方面でも楽器扱えるようになりたかったという後悔があります、私の場合)。

 つまり何が言いたいかというと、

  • 年齢が上がると忙しくなって、それまでに獲得したものだけで何とかしなきゃいけない局面が来る
  • そのときのために、若いうちにレベルを上げておこう
  • また、自分が他人より苦労せずうまくやれることは何なのかを見つけるべく、いろんなことに手を出して可能性を探索しよう

ということ。

とはいうものの

 そんなことを考えては書きかけては脳裏によぎるセルフツッコミがありまして、それは若い内からそんなこと考えなきゃいけない社会ってクソすぎませんか?ということ。 そもそももっと気楽に人生やり直せる社会なら、そんなこと考えないでもっと気楽に隙だらけで生きられるわけです。 でも、社会を信じて自由気ままに生きてたら人生詰んでしまいましたと言われても困るので、若い人に余計な苦労をして欲しくないと思ったら上記のように言うしか無いのです。

 そんなわけなので、どうか後悔なきように時間のある若い時代を、レベル上げや探索にゴリゴリ費やしていただきたいです。 そして培った能力を発揮して、年を取ってから「それが正しい生き方だ」と若い人に言わなくて済むような社会を作り上げていただきたいです。 同時に、みんながみんな自身の快楽の追求を優先したらそれはそれで社会が持たないと思うので、年を取るほど社会を維持するためにも能力を発揮していただきたいです。

 さて、そんなことを言う自分には、そのために今後どんなことがどのぐらいできるんだろうか。 年齢を顧みたり「先生」と呼ばれる機会が増えるにつけ、もう若いつもりでいるわけにもいかんのやなという思いが強まるものの、若い人にこそ攻めてってもらいたいと言いながら守りに入ってはいかんでしょということで、まだもうちょっと若いつもりで攻めの姿勢を崩さずやっていきたいですね。